「賃上げは、うちのように赤字すれすれの会社には無理な話だ」——そう考えて検討をやめてしまう社長は少なくありません。ですが、従業員の給与を増やすと法人税そのものが減る仕組みがあり、しかも赤字の期に引ききれなかった分を将来へ繰り越せるとしたら、前提は変わってきます。今回は中小企業向けの賃上げ促進税制を整理します。

賃上げ促進税制とは

前の期より従業員全体の給与を増やした会社が、増えた金額の一定割合を法人税から直接差し引ける制度です。

ここで押さえておきたいのは、経費が増える話ではなく税額そのものが減る話だという点です。損金算入は利益を圧縮するにとどまりますが、税額控除は計算後の税金からそのまま差し引かれます。同じ金額でも、手元に残るお金への効き方が異なります。

中小企業向けは要件が緩やかに設計されており、パートやアルバイトを含む雇用者全体の給与総額で判定できるのも使いやすい点です。もともと期限つきの措置ですが、直近の改正で適用期間が延長され、令和6年4月1日から令和9年3月31日までの間に開始する事業年度が対象になっています。

設例:赤字を理由に賃上げをためらうBさん

設例(フィクション)

年商2億円ほどの内装リフォーム業を営むBさん(50代・男性)。職人を中心に10名の従業員を抱えていますが、求人を出しても人が集まらず、離職も気がかりです。

思い切って全員の基本給を底上げしたいと考えるものの、「人件費が膨らめば利益は削られる。車両や機材の入れ替えも重なって赤字すれすれで、賃上げの余裕はない」と足踏みが続きます。Bさんの計算では、賃上げは出ていくお金でしかなく、税額控除による戻りは初めから勘定に入っていません。

控除率は最大45%、上限は法人税額の20%

中小企業向けの控除率は、賃上げの水準に応じて段階的に上がります。

  • 雇用者全体の給与総額が前期比1.5%以上の増加 → 増加額の15%を税額控除
  • 2.5%以上の増加 → 控除率は30%
  • 教育訓練費を前期比5%以上増やした場合 → さらに10%上乗せ
  • くるみん・えるぼし認定など子育て支援・女性活躍の要件を満たす場合 → さらに5%上乗せ
  • これらを積み上げると、控除率は最大45%に達します

給与の増加額が200万円であれば、15%でも30万円、要件がそろえば最大90万円が納税額から差し引かれる計算になります。

ただし引ける金額はその期の法人税額の20%が上限です。ここで「赤字で法人税がゼロなら関係ない」と受け止められがちですが、話はそこで終わりません。

赤字でも使える——5年間の繰越控除

令和6年度の改正により、中小企業には使いきれなかった控除枠を5年間繰り越せる仕組みが設けられました。赤字で引けなかった分を、黒字化した将来の期に持ち越して使えるということです。

したがって、赤字だからと賃上げの検討そのものを見送るのは早計です。ただし繰越分を使う期には、給与総額が前の期を上回っていることが条件になります。一度上げた給与を翌期に下げてしまうと、せっかくの繰越枠を使えません。賃上げの流れを止めないことが鍵になります。

実務上の対応

  • 前期と当期の給与総額を並べ、増加率を確認する(賞与や手当も含めて集計する)
  • 研修や資格取得にかけた教育訓練費の領収書を保存しておく
  • 赤字の期こそ、繰越控除に備えて申告書に明細を残しておく

判定の機会は決算のたびに一度きりです。期末が近づいてからではなく期の途中で試算しておくと、賃上げ幅そのものの判断材料としても使えます。控除で戻る税額まで見込むと、実際の負担感は思ったより軽くなることがあります。

この記事のまとめ

  • 賃上げ促進税制は損金算入ではなく税額控除。中小企業向けは控除率が最大45%まで上がる
  • 控除の上限はその期の法人税額の20%だが、令和6年度改正で5年間の繰越控除が新設された
  • 繰越分を使う期にも給与総額の増加が必要なため、賃上げの流れを止めないことが条件になる

税理士として、私が思うこと

税理士として中小企業の決算に向き合っていると、賃上げをためらう社長の背中には、従業員への責任と資金繰りへの不安が同居しているのを感じます。数字の裏にある「働く人の生活を守りたい」という思いは、制度の使い方ひとつで少しだけ軽くできることがあります。

この論点で取り漏れが起きやすいのは、賃上げ促進税制が長く「黒字の会社が使う制度」として語られてきたからだと感じています。控除枠の繰越が入ったことで、判断の順番は「今期に税金が出るかどうか」から「給与総額を前期より上げられるかどうか」へ移りました。赤字の期に明細を残しておいたかどうかが、数年後の税額を静かに分けていきます。

※本記事の設例は、相談現場でよく見られる構造をもとに整理したフィクションです。特定の顧問先・個人を示すものではありません。